「小鳥たちが見たもの」ソーニャ・ハートネット

読んだ後、こんなに胸にきて夜寝れなくなる小説って久しぶりです。
主人公・エイドリアンは、精神を病んだ母を持ち、厳格な祖母に育てられています。彼の心にはいつも「誰にも理解されない」「自分は本当に間抜けで、個性もなくて、友達もロクにできないような奴なんだ」という卑屈な不安が漂っています。

そんな彼はニュースで、兄弟が誘拐された事件を目にします。両親が涙ながらに犯人に哀願する様子を身ながら、彼の心にはじわじわと不安が広がっていきます。自分はこんなに求められたことがあっただろうかと。
これは彼の孤独の物語。これだけみると、不幸な境遇にある少年の孤独、とか思うかもしれませんが、実際のところは彼を取り巻くのは、まあ普通とはいわないまでも、彼を虐待していたり、特別傷つくことをしていたりするわけではありません。

例えば彼のおばあちゃんは、とても厳格な人ですが、決してエイドリアンを愛していないわけではありません。彼の孤独な心情にもわずかながら気付いていますが、彼女はそれは甘やかしになると思っている。
そうして立派に育てようと思っていながら、彼をだきしめてやりたい気持ちも持っているし、自分自身がもう子供を育てるような気力をもっていないということにも。彼女も同じぐらい孤独な人なのです。エイドリアンの母親の夫は育児に関しては全く責任も負わないろくでなしだし、彼女の息子は引きこもり気味で、もう一人の娘はモデルの仕事で忙しくたまに帰ってくると息子といい争いばかりしている。
そんな二人を見ながら、彼女はすっかり嫌になってしまい、ひょっとしたら自分はエイドリアンのほうを、実の娘や息子より愛しているんじゃないか、と思う瞬間もあるんです。

私は彼女の息子、引きこもりのローリーが好きです。彼はある理由からもうなにもかもやめてしまうんです。もう彼は草地を踏んで歩くことも、浜辺の砂の感触を味わうこともない。彼もまた、孤独な人間。その孤独でいることに陰鬱な不安を抱いていながら、もう何もする気力もないし、何かを生み出す環境も彼の回りにはない。
彼もまた、ひそかにエイドリアンを愛しています。彼はうちひしがれて落ち込んでいるエイドリアンを見ながら、どうしようもなく悲しい気持ちになり、その傷つきやすい心情に自分自身を重ねあわせ、彼の茨の未来を思います。
彼がエイドリアンのために、「ガラスは喋るんだ」とか、怪獣の絵をかいてあげたりしているのを見ると、本当に涙が出ます。(個人的にはこんなおじさんがいるだけでエイドリアンは恵まれてるとも思うんだけど…)

彼らは皆孤独なんだけど、最後までわかりあうことはありません。まあ、それが孤独ってものだからでしょうけど。誰も他人のことを思う余裕なんてないし、他人も自分のことなんかわかろうはずがないし。
エイドリアンはどんどん不安に、孤独になっていき、最後はそれが究極の形となって収束します。孤独の行き着いた先で、孤独の救いの先です。


全く明るいところのない小説ですが、文章がとても美しく、人の心情も細かく書かれていて、読ませます。というか読まずにいられないというか。

個人的な感想が以下。
これを読んで一番に思ったのは、なんで私はこの感覚を忘れていたんだろう、ってことです。エイドリアンと同じような感情は小さい時からずっともっていて、今も持っているのに、こうして活字にされて目の前にあらわされると、自分は自分自身の孤独になんて無神経だったんだ、と思います。

私も確か小さいときにエイドリアンと同じように、幼稚園でものすごい孤独を味わったことがあったし、その時その気持ちを忘れまいとも思ったのですが、いつのまにか、まるでそこは私でなくなったみたいに、切り落とされていました。ひどいことだと思います。自分の過去をゴミみたいに捨てることは。

実際私がこの小説に感化されるということは、その過去を今までずっと握ってたということなんでしょうけど、それを忘れてしまったみたいにみせてるのは、本当にサギ以外の何者でもない。自分が嫌いになりました。

ええっと、とにかく、「自分は誰にも必要とされてないんじゃないか」とか、「自分ってつまんないから友達とか出来ないんだよなあ」とか「自分やめてえ」とか一度ならず考えた、もしくは考えている人なら、絶対心にしみるでしょう。逆にまったく経験がない人ならちょっとイカれた小説に見えるかもしんない。でも、いいですよ。最近で一番よかった小説でした。