「くらやみの速さはどれくらい」 エリザベス・ムーン

ついにクリスマス絵もなんもかかないまま別館は一年すぎてしまいましたが…最近ぼちぼち再開してます。TOP絵もやっとかえられそうです。やっぱタチカワのスクールは使いやすいなー

最近シムピープルをはじめたんですが、もうスキン改造に手を出して詩人を作ってたりします。オリジナルで出来たら楽しかろうなーと。

久々なので本レビューをやろうと思います。

「くらやみの速さはどれくらい」エリザベス・ムーン

私はこの作家さんのことは全然知らないし、ただ偶然あまりにもインパクトのあるタイトルが目に付いたから読んだだけなんだけど、なんだか凄く不思議な小説だと思いました。別にファンタジーとかそういうのじゃないんですが、不思議。

ジャンルとしてはSFだと思います。自閉症の治療が可能になった未来。ですが幼い時に治療しなければならず、主人公の青年はその治療が開発される前に成人してしまった自閉症の人です。

コンピューター関連の仕事に就き、趣味はプロ級の腕のフェンシングで、フェンシングの教室に思いを寄せる女性と、良き勝負仲間がいる。
しかしそんなある日、上司から自閉症者がリストラされるという話を聞かされる。免除される方法は最近の自閉症治療を受けること。しかし実質は生体実験のようなシロモノ。主人公は手術を受けるべきか思い悩み、彼のとった決断は…という話。

自閉症者のSFというと「アルジャーノンに花束を」が有名ですが、これも未来小説の設定をうまく使った小説だと思います。あらすじをみると結構ありきたりというか、お涙頂戴かと思うかもしれませんが、これがどうして大真面目な小説なんです。

まず、主人公の自閉症者の描写がとてもうまくできていると思います。彼は自閉症者なんだけど自分自身でやっていくということをずっと目指してきた人で、所謂「普通の」人たちの間で、違和感を感じつつもうまくやっていこうとしてるんです。たいていの人は彼が自閉症だと気付かない。でも自閉症の彼にとって普通の人たちの生活は理不尽であまりにも無作為。その彼の感じる不安や不満みたいなものの描写がとにかく細かく、ずらずらつながっていく彼の思考の流れともいえる文章の形にしっかり表れています。

それとこういう小説が安っぽくなりがちな、「周りの人は皆敵」なんてことはなく、むしろ魅力的な人が多い。例えばフェンシング教室の講師は、いち早く主人公の才能を見出し、彼を「自閉症患者」ではなく「1人のフェンシング選手」として扱うんです。彼らが練習を重ね、大会に出るところはちょっと感動します。

確かに嫌がらせをする人もいることはいるし、それが主人公の成長に関わっているシーンもあるといえばあるんだけど、個人的にはこの小説は、社会的なメッセージがあって「差別はいけませんよ」とかそういうのではなく…1人の人間としての自閉症者、自閉症者がなにをみているのか、そして自閉症者があくまで「1人の人間として」何を選択するのか?ということを書いている気がしました…。

つまりそこには少し、自閉症者や精神病者に理解の無い人がしょっちゅう口にしがちな「かわいそう」といった甘ったれた感情ではなく、自閉症者自身の努力が必要なのだという、少しつきはなしたように取れるような、そんな感情があるような気がしました。
自閉症者と普通の人という境界を自分からひくのではなく、中にとけこむよう努力しなければならないのだと。でも主人公はこの状況を決してよしとしているわけではなく、自分が「普通じゃない」ことに不満を抱いているふしがあります。だからこそ、手術を迫られたときに思い悩むのは、「もし自分が自閉症じゃなくなったら自分は自分なのだろうか?」ということ。

多くの人が、単純に自閉症が治るのはいいことで、それは普通の人になることだという考え方をしますが、自閉症の人にとってはおそらく自分が自閉症というのが一つのアイデンティティなんですよね。
だって自閉症の人はある種の精神病の人のように、幻覚が見えていたり妄想癖があったりするわけじゃなくて、世界を違う風に認識している人たちですから。
この本にも例として挙げられていましたが、何百台も車が止まっている駐車場を見て瞬時に、「赤の車は○台、白は○台、青は…」と理解してしまうんだそうです。他にも地面に落とした藁の数を瞬間的に認識したり、私達には到底理解できない世界認識をしている。これはアイデンティティだと思いますよ。世界の見方が変わるんだから。

だから主人公は悩む。彼は頭脳は優秀で、身体能力もある。小さい頃は宇宙飛行士が夢だった。でも自閉症だからその夢が破れた。手術をしたい気持ちもある。でも手術をしたらフェンシングはおそらくもう出来ない(彼は相手の行動をパターン化して考える能力があるからフェンシングが強いので)。

私が不思議な小説といったのは、その結末にあります。彼の選択と、それにともなうもの。なにが不思議ってそこには彼の選択が正しいのか、正しくないのか、作家の心情がなにも読み取れないから。
彼本人はとても満足している結末で、ハッピーエンドとも取れます。でもなんというか…凄く不思議な読後感なんです。読んでいるほうは。彼がこれからどこに向かうのか、そんなことに思いをはせながら本を閉じ、ベッドの中で暫く考え込んでしまいます。結構小説は読んでるつもりですが、この読後感はちょっとあんまり味わえないです。

あとこれ、自閉症者の心理としても詳しいんだけど、なんというか、何かしらちょっとしたことで傷ついちゃったりとか、一つのことにいつまでも固執しちゃって前に進めなかったりとか、まあつまり私なんですが、そんな人が読むと、なんとなく日々感じている孤立感みたいなものが主人公とリンクしちゃって、なんか複雑で切ない心情になったりします。

ストーリー自体結構面白い、ハラハラな展開があったりするし、なんといっても自閉症者が主人公という一風変わった設定もページをどんどんめくらせてくれます。どうも今回のレビューは固いんですが、全然そんなこと無いです。気にせずエンタメと思って読んでみてください。小説ですからね。ちなみにネビュラ賞受賞作。SFファン、奇想ファンは迷わず読んどけ、です。

あとこの面白いタイトルですが、なんか作家の人の息子さんが自閉症らしく、彼が「お母さん、暗闇のはやさってどれくらいなの?」と聞いたのがモトネタだとか。
彼女は「暗闇にはやさは無いのよ」と答えたんだけど、息子は「光にはやさがあるんだから暗闇にもはやさがあるはず」っていったらしいんです。つまり光に闇が追いついたからあたりは暗くなるんだと。凄い発想ですよね。

しかしやっぱり身内に自閉症者がいる人だったのか…どうりで、お母さんならではの「強く育て」という思想が感じられると思いました。
今彼らがどうしてるのか気になるなあ。